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2020/03/29

辛かったことを書き並べるのは、不幸自慢じゃないんです。

辛かったことを書きならべるのは
不幸自慢じゃないんです。

わかってくれる人を探しているのでもありません。

同じ人を捜しているんです。

分かってくれる人がいないことはもうわかりましたので。

だから同じ人を探しているんです。

大人になって話せなくなり
人との繋がりをすべて失った人。

話せない自分を気遣って、
話せる自分も常に抑え続けていた人。

誰に対してもホントの自分を出せず、人と親しくなることを諦めている人。

人との話し方をすっかり忘れてしまった事がある人。

人間語が聞けなくなってしまったことがある人。

同じ人、いませんか?

誤解された人、いませんか?

マイクで人前で話すことが得意だったのに、個人同士ではたちまち話せないなんて、信じてもらえませんよね。

SNS上では、話せなかった頃の友達はいないなんて、そんな都合のいい話、ないですよね。

集合により話せたり話せなかったりして、なぜホントの自分を出せないのか、25年以上謎で、何で自分はこんなにダメなんだろう………と悩みました。

そんな人、いますか?

捜しています。
2020/03/27

人としゃべるのに異様に気を遣う。親しい友達なんて一生出来る気がしない。言いたいことを言うのに、いちいちものすごく勇気いる。勇気出なくて言わないままなことも多々。

人としゃべるのに異様に気を遣う。親しい友達なんて一生出来る気がしない。言いたいことを言うのに、いちいちものすごく勇気いる。勇気出なくて言わないままなことも多々。

そんな人、いませんか?

他人が絡んでいることには、すべて「ふり」をしてる人、
「嬉しいふり」「悲しいふり」「楽しいふり」「驚いたふり」

人と立ち入った話ができない。自分の意見を言うほど親しくはなれない。人と長く話すのは苦になるから自分のことは話さない。

人と深入りするすることができない人。ずっと上辺だけでいいと思ってる人、
一生だれにも心を開けない気がしている人、だれとも一生笑い合えない気がしてる人。

そんな人いませんか?
いつからそうなりましたか?
私は味方です。
2020/03/27

もっと話せていたら

ただの主婦なのにラジオで朗読をさせてもらってる。
きっかけは………

人とコミュニケーションをとるのはそもそも苦手。なのにマイクでしゃべること、アナウンスやナレーションには興味があり好きだった。

結婚してから、やっぱりもっと勉強したいと思うようになり、ちょっとお金をかけて本格的に習いに行った。その時のアナウンスの先生は私の読みを認めてくださり、食事に誘ってもらったり「履歴書を書いてきて」と言われ、司会の仕事に誘ってもらえるようになった。
でもやっぱり人と普通に話すのは難しかったので、先生の司会のサポート(名前の読み方を聞いてきて!みたいな手伝い)も積極的に行動できない。あれもこれも!って、気の効いたサポートをしたかったのに、ぜんぜん積極的にできなかった。

ある日先生に、東京から朗読家がくるから、勉強会に出てみない?と誘われ、「プロコース」を受けてみた。受講料高かった笑

さすがプロコース✨ラジオ、テレビで活躍中の局アナや、タレント、ベテランの司会者が参加してた。

なんか場違い~😅
ただの主婦が来るとこじゃないやないかい😅

男女で全国で活躍している二人の朗読家は、熊本のラジオの朗読番組の監修をされていた。
番組で、読み手を一人探してたみたいで、
受講者の中から、二人とも声を揃えて私を指名してくださったそうで、ラジオで朗読をさせてもらえることになった。ありがたい。

でも、あいかわらず、ラジオ局に行っても、挨拶すらままならず、したのかしないのか分からないような会釈しかできず、そこから人脈が広がることはもちろんなかったし、仕事も広げられなかった。まったく。15年ぐらい、何にもなかった。もったいない。スタジオへ一直線にはいり、終わったら一直線に建物の外へ出る。毎回そう。
今ぐらい話せていたら、あの番組もこの番組も!って、いっぱいナレーションの仕事をかかえてたかも知れない。

なーーんてね。

あの時、私を可愛がってくださり、ラジオのご縁を作って下さったアナウンスの先生にとても感謝している✨
2020/03/25

心の探りあい

スーパーへ買い物は同じ時間に行かないと、
会いなれてない人に会うと、
挨拶できない😅
いまだに
知らんぷりするか逃げちゃう。

でもね。

向こうもそうなんだよ。

気づいてると思うのに知らんぷり。

こういう、心の探りあいが

もー、人間ってめんどくさいです。

だから、挨拶しずらくて逃げるのはみんなそうなんだよ。


と、自分に言い聞かせる。

嫌われてるんじゃない。

お互い遠慮してる。

探りあってるんだよ。

と、自分に言い聞かせる。
2020/03/21

場面緘黙について書いてみる

私は大人になって話せなくなったので、場面緘黙ではないようです。
しかし、同じような経験はしましたので、SNS で症状など読んだりすると、「そうそう」と、よくわかります。
が、診断がないので、
「わかるー」という資格もありません。

「経験者の真似をして書いてる」と思われたのでしょうか、
「元場面緘黙を名乗りたがっている人」という捉え方をされたのがわかったので、同じ経験をした人を探そうと経験を書いていたツイッターはやめました。

真似をせず自分の言葉でかけるように、読むこともしなくなりました。

分かってくれる人を探そうとした私のほうがおかしかったのかもしれません。

大人になって話せなくなったとか、ありえません。いるわけないです。
私がバカでダメ人間だっただけでしょう。


一年ぶりぐらいに積極的に読んでみました。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33464

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わたしのアンテナに引っ掛かったものを拾い出してみました。

★「一見自然と治ったようにみえる人も、偶然環境が整い、本人が大変な努力をしているケースが多いのです。」

このフォローは嬉しいですね。
偶然環境が整い話せたとしても、本人的には相当気を使って頑張っているの、よくわかります。ラクに話せているわけでもないし話せているからラク……なんてほど遠い。活字が言えただけで言いたいことが言えた気はまったくしていない。生き生きした会話として発するのはほど遠い感じ。
話せたら話せたで、話せない時の自分とのバランスを考えてる。そこでも戦っている。


★周囲の理解がないことにより、当事者が孤立してしまうこともあります。

…こともあるっていうか、本人としては常に孤立してる感じ。体が輪の中にいるだけで、心は輪に入れない。常に。話が難しすぎて入れないから心が近づけるわけがない。


★「(大人が)代わりに答える(発話の回避)」→「不安が軽減する」→「緘黙が維持・強化される」という負の強化サイクルになってしまうことも

これにはちょっと意義がある。
子どもが成長するように話せるようになるわけではないから、場面緘黙が治るのを、3年、5年スパンで考えるのは無理がある。大人の変化として考えてほしい。「あの人は昔より丸くなった」→これって、20年、30年、同じ人を見てきた人がいうことだと思うのよ。そーゆーこと。
だから、「代わりに答える」ことは、3年後5年後には悪い影響になったとしても、20年後、30年後、その人が少し話せるようになったとき、もっと話したい!と思った時、すごーくいいヒント、お手本、になると私は考えるのであります。

代わりに言ってあげることは、数十年後、
話せるようになったとき、または、話したい!とおもったときのため、または、話せる場面や集合が出てきたときの、貯金のような。プラスになるものだと私は思う。
 
3年5年で考えないでほしい。
練習と思って代わりに言ってくれないなんて、
悲しい。冷たい。意地悪でしかないよ😭😭
お互いの誤解みたいな気がする。

だって
基本、本人は自分で話したいんだもん。
代わりに答えられるのはやっぱり違う。

いつかは普通の人みたいに話したい!と思ってるんだもん。

本人は、基本、自分で、普通の人と同じように話せるはずと思ってるし話したいと思ってる。

甘えてるんじゃないから、私はそんな気持ちでした。
2020/03/20

大きな感謝にも小さなお礼にも、そっけない「ありがとう」しか言えない

バスで母子を見た。
若いママは、大きな荷物と畳んだベビーカーに1才ぐらいの子を抱っこ。もう一人の子はまだ手を引いてやらないといけないような3才ぐらいのお姉ちゃん。
次でバスを降りるみたいだけど、どう見ても手が足りない。
私もどうせ降りるから
「ベビーカー私が持っていくよ。お姉ちゃんの手を引いてやって」
一緒に降りた。

バスを降りるとママは、ベビーカーを受け取りながら、目も合わさず小さな声で「ありがとうございました」とそっけなく言うと、そそくさと言ってしまった。

昔の私と同じだー。

そっか。私もあんな感じだったんだな。

ほんとは言いたい
「ありがとうございましたぁ!!🙏🙇‍♀️🙇‍♀️
助かりました😊❗😃💕✨」

感謝の思いが伝わるようなキラキラしたありがとうが言いたいのに、どうしても勇気がでなくて、そっけないありがとうしか言えなかった。

わかるよ。

ほんとはキラキラしたありがとうが言いたいのにね。

心配しないで、私は分かるから。
2020/03/18

話せる今と話せなかった過去の明らかな違いは

今と昔ではなにが違うかというと、話の聞き方がまったくちがう。

今は、人の話を聞いている実感がある。
人間語がわかる。
ワケわかって話を聞いてる。
テレビみて本気で笑えるぐらい、本気で、自分の中でちゃんと処理しながら聞けている。
そういう実感がある。

昔はテレビもちゃんと聞けていなかったことが、今わかる。

昔は、「聞いている気がしてた」だけだと思う。当時の私に「聞いてる?」と聞いてみたい。たぶん「うん聞いてる」といいながら、自分の世界で自分の都合のいいようにしか聞けてなかったと思う。だから、日時などの連絡事項は聞ける。でも、過去や予定、知らない人の話がでてきて、人間ぽい話になってきたら、もう聞けなくなっちゃう。人間ならではの話がわからない。

聞けないから話に入れないどころか、うなづくところも分からない。どのくらいの大きさでうなづくのかも分からない。
だから、もっと大きく反応せないかんとこでも、ちっちゃくしか反応できない。そのほうが無難。間違うのこわい。失礼。

人間語が分からないってそういうこと。

みんなが一斉に笑っても、
(今の笑うとこたったんだ…)って、
いつも分からず取り残されて、

わかったとしても、自信がないから一応笑わないでおく。

笑えるようになっても間違ってたら恥ずかしいから抑えて笑う。

みんなと一緒にあっはっは!と笑うことは一生ないと思ってた。そんな友達なんて一生作れないと思ってた。
私は人並みに人と一緒にあっはっは!と笑い合うことなく死んでいくんだと、死んでいくとこしか見えなかった。

そのまま死んでいくと思ってました。

でも、ここ2年ぐらい、みんなと一緒にあっはっはと笑えるようになった😊

聞けるようになった。

人間語が!

人間語が聞けるようになった!

話を聞くことに自信があるんです!

それがいちばん大きいです!